アラサー女子の子育てしながら人間磨き、週末家庭菜園

母として 妻として 女として、人として ずっとずっと美しく生きていたいのです。だから、日々少しの努力をして 感謝して …。

子供の人生 親が道標を作るか否か

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先日、次男のプレ幼稚園の後でママ友とのランチタイムでこんな話題になりました。

子供の人生に親が道標を作るか否か

普通に考えれば 子供の人生ですから、手助けはしてもあとは子供たちで切り開くべきだと考えます。

ある友人は 幼稚園選びの時点で 子供が偏差値の高い大学に入れるかどうかまで視野に入れて考えるとの事。つまりこの場合、大学までの道標はほぼ出来上がる。しかも彼女は6大学以上は認めない様子。

一方 ある友人は 今の時点でも命に関わる事以外は口を挟まないとの事。例えば宿題をしようがしまいが、勉強をしようがしまいが子供に任せてるそう。だから今入っている小学校も子供が辞めたいと言って納得のいく内容であれば辞めるという。

例えばこれが 親の後を継いでほしい とか考えていれば 確実に道標は必要になってくる。特に特殊な業種。医者とか建築士とか、バレリーナとか。

我が家の場合、今の所ゴールのある道標は作る予定はなく、ただ選択肢を幅広く持てるようにしてあげるのが親の役目だと思っている。でも 結局習い事や学校選びをしている時点で既に子供の道標を作っているとも言える

習い事もどちらかというと 本人にかけている部分を補う為か、長所を伸ばすために選択している。その時は勿論本人の意思確認をする。

以前役所に用事で出かけた際に、職業支援のコーナーか何かで私よりもはるかに年上の男性の横で 母親と思われる人が息子には何も発言させず(するつもりもない)ひたすら 子供に働かせたい環境について熱く語っていた。今まで続かなかった仕事場の悪口を交えながら。心の中で「あーだからダメなんだよ」と思ってしまった。この親はきっと今までも子供に選択権を与えず、選択権を与えられなかった子供はしまいには思考さえストップさせてしまったのだろう。運良く働く場を与えられたとしても、意見を求められたり 注意を受けた時 自己の責任を感じながら働いていなければきっと人のせいにしてこの場から立ち去るに違いない。我慢して乗り越えるとか、切り開くとかできっこない。

つまりは道標は 本人が自己の行為に責任を持て、何かハプニングが起きた時でもしっかり対処できる力、自分で取捨選択できる能力をつけられるようにする という事が必要なのだと思う。そういう子はきっとどんな道でも切り開いていかれる。