曾祖母とのお別れ そして 後悔
昨日 兼ねてから入院し、意識もなかった曾祖母が亡くなりました。
意識はないものの自発呼吸が増え始めたので、回数が安定すれば人工呼吸器を外すと医師から説明があったばかりの時でした。
私達は日曜日長男を習い事に送った後その足で病院に向かい 次男は病院には入れないため夫と1人ずつ順番にお見舞いに行きました。
私は主人の後に向かいました。確かに自発呼吸を明らかにしていて それが私には何か訴えるような 最期の力を振り絞るようなそんな気がしてならなくて 普段は声をあまりかけないほうなのですが 何度も何度も呼びかけました。
私には ひいばぁばわかってるなぁ 応えてくれてるなぁ と感じ取られ、なぜか何度も何度も
ありがとうございました
と伝えている自分がいました。しかし、長男を迎えに行く時間も押し迫っており、その場を後にしました。この時、この場にずっといたい ひいばぁばともう少し話したい そういう後ろ髪を引かれる思いで場を後にしたその感覚を私はもっと信じるべきだったと後に後悔したのです。
結局 それから数時間後 誰にも看取られないまま曾祖母はこの世を去ってしまいました。私が最後に話した人間となってしまったのです。
夕方再度お見舞いに行った際に、間に合わなかったと告げられ愕然としました。
なぜ病院側ももっと危険な状態だと連絡をくれなかったのか、遠方より帰宅途中だった義母にも既に危険な状態だったと思われる時間に連絡があったものの今すぐどうこうなるという説明もなく 焦らず向かって下さいと告げられたとの事でした。
いろいろな部分ですれ違いがあったのか、はっきりわかりませんが 何よりも私の最後のあの感覚をしっかりもっと夫に伝えるべきだったと責任を感じずにはいられません。
それでも曾祖母の横たわる顔はとても美しく、生き抜いたという 清々しい顔に見えたのが救いでした。
肉など1かけも見当たらぬやせ細った顔ですが、人間の必要なものだけが残った究極の姿が見えるような顔でした。
私も曾祖母のような生き方が少しでもできるように、日々を大切に生きていこうと思います。
(追記)後でわかりましたが、永六輔さんと同じ日になくなったようですね。私は「大往生」も読ませていただいたし、「こんにちは、赤ちゃん」は本当に赤ちゃんの時に聞いていました。言葉で生きる人、語りかける人という印象で そういう人はやはり力があるなぁと思います。
私の大切な人が よく 言葉に負けない と言っていました。何気なく口にする言葉に命を吹き込めるのは自分しかいないから 言葉を意味のあるものにする為に しっかり考えなければなりません。言葉をないがしろにしないように。